『専利紛争行政裁決と調停弁法』に関する重要条項の解説
中国では、専利[1]権侵害の救済方法について、民事訴訟の司法ルート以外に、日本にはない、行政裁決[2]という行政ルートが存在する。行政裁決は、専利権侵害を対象とする権利行使手法であり、権利者は専利行政主管部門(実務上、専利行政主管部門は主に各地の市場監督管理局又はその管理下にある知識産権局を指す。便宜上、以下、「知識産権局」という)に申立てを行い、専利権侵害紛争の処理を請求できる。知識産権局は審理を経て侵害が成立したと認定した場合、侵害者に差止命令を下す。行政裁決において、侵害者に対して過料を科すことはできず、また、侵害者と和解した場合を除き、民事訴訟のように損害賠償を請求することもできないことになっている。一方、行政裁決は、訴訟と比べると手続きが迅速かつ簡便であることもある。下図のとおり、専利権侵害案件において、行政裁決が民事訴訟よりも多くの権利者に採用されており、非常に重要な紛争解決手段となっている[3]。
専利権侵害案件に関する行政裁決及び民事訴訟件数の推移[4]
これまで、専利権侵害の行政裁決に関する規定は、主に国家知識産権局が2010年に公布し、2015年に改正した『専利行政法執行弁法』(以下、『法執行弁法』という)等の法令に定められている。専利紛争の実務における新たな状況や課題に対応するため、国家知識産権局は2024年12月26日に『専利紛争行政裁決と調停弁法』(以下、『弁法』という)を正式に公布し、2025年2月1日から施行される。また、『法執行弁法』も引き続き有効とされるが、『弁法』と不一致がある場合には、『弁法』が優先的に適用される。
『弁法』は主に専利権侵害紛争の行政裁決と専利紛争の調停の2つの手続きについて定めており、本稿では権利者の関心が高い専利権侵害紛争の行政裁決に関する重要と思われる条項を紹介する。
諮問意見請求制度の新設
警告状送付は、専利権侵害対策において権利者が最も多く利用する権利行使手段の一つである。権利の濫用を防止し、不当な警告が競合相手の通常の業務を妨害することを避け、公平な市場秩序を維持するため、司法ルートにおいて「非侵害確認訴訟」という制度が設けられている。『弁法』の第13条に新設された諮問意見請求制度は、この非侵害確認訴訟制度と類似する。一定の条件を満たした場合、警告を受けた者は侵害行為の成立の有無について知識産権局に諮問意見を請求することができる。
『弁法』第13条:権利者が他人に対し専利権侵害の警告を行った場合において、警告を受けた者が書面で権利者に対し専利行政主管部門へ行政裁決の申立てを行うか、または人民法院に提訴するよう催告したり、あるいは警告を受けた者が権利者に書面で非侵害の意見を示した場合には、権利者は、当該書面による催告若しくは非侵害の意見を受領した日から1か月以内、または書面による催告または非侵害の意見が発せられた日から2か月以内に、警告を撤回することも、専利行政主管部門へ行政裁決の申立てを行うことも、人民法院に提訴することもしないときは、警告を受けた者は専利行政主管部門に対し、侵害行為の成立の有無についての諮問意見の発行を請求できる。 |
条文上の文言からすると、知識産権局が発行する「諮問意見」は民事判決や行政裁決とは異なり、法的拘束力を有しないものと解される。ただし、知識産権局は行政機関としての権威性を有するため、将来、行政裁決あるいは民事訴訟に移行した場合、行政裁決を担当する知識産権局が「諮問意見」をそのまま採用したり、民事訴訟を担当する裁判所が重要な参考資料として考慮したりする可能性がある点には留意が必要である。
下表に示すとおり、「非侵害確認訴訟」と比較した場合、諮問意見請求制度の要件は相対的に緩やかである。警告を受けた者が書面で非侵害の意見を示せば、要件2が充足される。『弁法』では非侵害意見の形式や実質内容について明確な制限を設けておらず、警告を受けた者が形式的な非侵害声明を示すだけで要件2が充足すると見なされる可能性が排除できない。さらに、『弁法』は諮問意見の発行手続(権利者への通知や、侵害判断にあたって当事者双方の意見を聴取するか否か等)について明確に定めていないため、警告を受けた者の一方的な主張だけで諮問意見が形成されるリスクも考えられる。
要件対比表
非侵害確認訴訟の起訴要件[5] |
諮問意見請求の要件 |
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要件1 |
権利者が他人に専利権侵害の警告を発送 |
権利者が他人に専利権侵害の警告を発送 |
要件2 |
警告を受けた者又は利害関係者が書面で権利者に訴権の行使を催告 |
警告を受けた者が書面で権利者に対し専利行政主管部門へ行政裁決の申立てを行うか、または人民法院に提訴するよう催告したり、 あるいは警告を受けた者が権利者に書面で非侵害の意見を示した |
要件3 |
権利者がその書面による催告を受領した日から1か月以内、又は書面による催告が発せられた日から2か月以内に、権利者が警告を撤回せず、又は人民法院に訴訟を提起しない |
利者は、当該書面による催告若しくは非侵害の意見を受領した日から1か月以内、または書面による催告または非侵害の意見が発せられた日から2か月以内に、警告を撤回することも、専利行政主管部門へ行政裁決の申立てを行うことも、人民法院に提訴することもしない |
※太字の部分は両者の違いを示す。
総じて、諮問意見請求制度は、警告を受けた者にとっては侵害行為の成否を判断しやすくし、紛争を効率的に解決するとともに、警告が企業の経営に与える悪影響を軽減する手段となり得る。一方で、権利者が警告状を送付するにあたっては、これまで以上に慎重な対応が求められる可能性がある。
従って、権利者としては、これからの第13条の具体的な運用状況を注視することが重要である。もし、将来、警告状を送付する際に一層慎重な対応が求められるようになった場合には、警告状送付前の証拠収集や侵害比較分析などをより綿密に行うことが望ましい。また、警告状送付後、相手方から非侵害の意見が示されたときは、民事訴訟や行政裁決を行うかどうかを速やかに判断し、対応の遅れによって受け身に回らないように留意すべきである。
当事者追加制度及び合併審理制度の新設
専利権侵害案件では、侵害品の製造者や販売者など、複数の侵害者が関与することが多い。民事訴訟においては、権利者が複数の侵害者を共同被告として訴えることで、一件の訴訟で複数の侵害者の責任を追及できる。しかし、行政裁決は「一案件一被請求人」という原則に基づいており、一つの手続で複数の侵害者に対する責任を追及することが難しい。今回、『弁法』で新設された以下の二つの制度は、この制約を一部突破するものである。
『弁法』の規定 |
対応例 |
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当事者追加制度 |
『弁法』第24条第1項 |
製造業者(販売業者)に対する行政裁決申立てが受理された後に、知識産権局に対し販売業者(製造業者)を共同被請求人として追加するよう申請する。 |
合併審理制度 |
『弁法』第21条第2項 |
製造業者、販売業者に対する行政裁決申立てがそれぞれ受理された後、知識産権局に対し合併審理を申請する。 |
しかし、上記の制度が実際に運用される際には、土地管轄規則による制約が生じる可能性がある。現在、行政裁決と民事訴訟のいずれにおいて、侵害行為地又は被請求人(被告)所在地に基づいて土地管轄が決定され、実務上、被請求人(被告)所在地管轄となることが多い。民事訴訟では、同一訴訟で複数の被告が異なる地域に所在するとしても、原告はいずれかの被告の所在地の裁判所を選択してまとめて提訴できる[1]。しかし『弁法』には類似の規定がなく、異なる地域に所在する複数の侵害者が同一の侵害品に関与し、それぞれの侵害者を管轄する知識産権局が異なる場合において、当事者追加や合併審理が認められない可能性がある。複数の知識産権局への問い合わせでも同様の回答が得られている。従って、現時点では、当事者追加及び合併審理制度が主に適用されるのは、同一行政区内に所在する複数の侵害者が関与するケースに限ると考える。
涉外案件の事物管轄規定の新設
『弁法』第7条は、行政裁決の事物管轄を定めている。専利業務量が多く、かつ実際に処理能力を有する市レベルの知識産権局は、その管轄地域内の行政裁決案件を処理することができる。また、当事者が外国企業であるなど、渉外要素が含まれる案件(いわゆる渉外案件)については、省レベルの知識産権局が管轄することができる。
具体的な状況に応じて、行政裁決が省レベルまたは市レベルの知識産権局のいずれに管轄されるか変わるため、権利者としては申立てを行う前に関連する知識産権局に相談し、事物管轄を確認することが望ましい。
連合懲戒制度の新設
『弁法』第34条第2項の規定により、以下のいずれかの状況が発生した場合、知識産権局は侵害者を「深刻な信用失墜主体リスト」に載せ、連合懲戒を実施することができる。
状況1:故意に専利権を侵害した場合。
状況2:知識産権局が行政裁決を下した後、履行能力がありながら履行を拒否したり、執行を回避したり知識産権局の公信力に深刻な影響を与える場合。
社会信用情報を基に複数の行政機関や関連団体が協働し、信用に問題のある個人や企業に対して一連の制限措置を課す仕組みである。現在、連合懲戒は主に「知的財産権(専利)分野における重大な信用失墜主体に対する共同懲戒を実施するための協力覚書」等の書類において規定されており、具体的な懲戒内容には次の事項が含まれる。
・政府資金、補助金、および社会保障資金等による支援を制限する。
・法に従って政府調達活動への供給業者としての参加を制限する。
・高額消費や、生活・業務上必須ではないその他の消費行為を制限する。
・信用失墜主体の失信情報を、ネットを通じて社会に公表する等。
その他の重点条項
・裁決請求時限の明確化。『弁法』第19条により、専利侵害紛争に関する行政裁決の請求時限は3年であり、これは専利権者または利害関係者が侵害行為および侵害者を知った日、または知り得た日から起算する。行政裁決請求時限の中止・中断・延長の事由については、『民事訴訟法』の関連規定を参照して適用する。仮に3年の時限を超え行政裁決を請求した場合、被疑侵害行為が請求時点においてなお継続しており、かつ専利権の有効期間内である場合は、知識産権局は受理しなければならない。
・案件処理期限の調整。『弁法』第37条により、行政裁決は原則、3か月以内に結審する必要がある。案件の複雑さ等により最長3か月延長できる。また、公告、検証・鑑定、管轄異議、当事者による立証期限の延長申請および和解期間等は、前述の処理期限に算入されない点に注意が必要である。
・調査通知書制度の新設。『弁法』第44条第2項により、当事者およびその代理人が客観的理由により自ら証拠を収集できない場合には、代理人は知識産権局に「調査通知書」の発行を申請できる。代理人はこの調査通知書を所持して、調査対象となる機関または個人から、国家機密や営業秘密、個人のプライバシーに該当しない証拠を調査・収集することができる。関係する機関または個人は、これに協力しなければならない。
今回の『弁法』は、専利紛争処理の効率と公正性を高めるとともに、権利者の権利保護に対して、より明確かつ詳細な法的枠組みを提供することを目的として、いくつかの重要な修正および新設を行った。ただし、一部の新設制度については、実際の運用上の効果がなお検証を要する面もある。権利者としては、『弁法』の施行動向を注視しながら、案件の実情に応じて関連制度の利点を柔軟に活用し、専利権の保護を最大限に実現していくことが望ましい。
[1] 中国では、日本でいう特許、実用新案、意匠を総称して「専利」という。
[2] 現行の『専利行政法執行弁法』(2015年)の用語表現に基づき、これまで、専利権侵害の行政ルートの救済を「専利行政法執行」と呼んでいたこともあった。
[3] 裁判所と比べ、各地の知識産権局には専利に関する法律知識及び技術知識に精通する専門人員が少なく、複雑な特許権侵害紛争につき行政裁決を申し立てても適切に判断されなかったり、審理自体、事実上、拒否されることもある。従って、実務上、行政裁決は、侵害判断が相対的に容易な意匠権又は実用新案権侵害案件で、案件状況も複雑ではない案件で活用されていることが多い。 [4] 「中国知識産権保護状況」で公表されたデータ(2017年~2023年)を基に作成。
[5] 『最高人民法院が専利権侵害紛争事件の審理に適用される法律の若干問題の解釈』第18条
[6] 「中華人民共和国民事訴訟法(2023年改正)」第22条第3項、第36条
著者情報
担当:IP FORWARD 法律特許事務所
弁護士 周 婷